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本紙連載
掲載日=
2008/05/20
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市民の声、運動会の思い出
運動会シーズンが間もなくやってきます。児童生徒が走って跳んで、応援の父母らも一喜一憂、毎年大いに盛り上がります。シリーズでお届けしている「市民の声」、今回は「運動会の思い出」をテーマに、さまざまな思い出を語っていただきました。
見逃した娘
仕事の関係で、運動会で娘の走る姿をほとんど見たことがありませんでした。「最後だから見逃すまい」と中学3年生の運動会に行きました。
徒競走が始まり、子ども達が次々とスタートしていきました。ところが生徒達はみな同じジャージ姿。娘の姿を捉えようと目を凝らしていましたが、最後まで見つけることができず、徒競走は終了しました。「棄権したのか」と妻に聞くと「見てなかったの」と言われ、愕(がく)然としました。(北見市、50代・男性)
なぜか天候不順
運動会の日ってなぜ、毎年のように天気が悪いのでしょうか。祖父母も見に来てくれるのですが、たいてい毛布をかついでの観戦です。5月は天候が不順で、6月の方がより安定しているのでは。
前日はお弁当を作る買い出しから始まり、グラウンドの場所とりと、運動会に向けて家族が投入するエネルギーは相当なもの。それだけに「天気は快晴、五月晴れ」になってほしいものです。(北見市、40代・主婦)
けがでポツン
私は運動が苦手なので、子どものころから運動会が近づくといつも憂うつな気分になっていました。
「何とか運動会に出ないですむ方法はないものか」と真剣に考えていたある年のこと。私は運動会の1週間ほど前に転んでけがをして、しばらく松葉づえの生活になってしまいました。「これは運動会に出られないね」との親の声に、けがの痛さを忘れ「やった!これで運動会に出なくてすむ」とひそかにガッツポーズをしました。
そして運動会当日。私は生徒用のテントにみんなと一緒に座っていたのですが、百メートル走だなんだと種目があるたびに、ポツンと取り残されることに。その独りぼっちにされる寂しさといったら…。以来、運動会をサボりたいとは思わなくなりました。(北見市、35歳・女性)
その日朝午前3時に…母の手作り弁当
運動会の思い出は、母の手作り弁当です。家族と祖父母を合わせ6人分の昼食。早起きして、午前3時ごろから準備に取りかかっていたようです。
当日の朝は、鳥のからあげや卵焼きなどの香りで目が覚めました。朝食にはたくさん作った弁当のおかずの「残り」が食卓に並び、それを食べて登校したものです。
母は弁当で私を「応援」しようと余るほどの量を作るので、運動会の会場だけでは食べきれません。夕食にも余ったおかずが登場し、幼かった私は一日中、運動会が続いているような気がしたものです。
競技の思い出はほとんどありませんが、今でも運動会シーズンになるとあの弁当を思い出しますね。(網走市、20歳・男性)
6年で初めての敗北
小学生のころは運動会が楽しみで、前日はよく眠れませんでした。走るのには自信があり、徒競走、リレーなどほとんど1位でしたが、6年生になって初めて負けを味わいました。
6年生の徒競走ではスタートから1位だったものの、ゴール手前で転んでしまいました。リレーはアンカーを務め、バトンを1位で受け取ったのですが、転校生に一気に抜かれてしまい2位。油断大敵、上には上がいることを知りました。
運動会は5年生まで良い思い出ばかりでしたが、6年生で負けた悔しさが強烈に印象に残っています。(北見市、54歳・男性)
白い足袋、いなりずし、おもちゃ
小学校の運動会といえば白い足袋、いなりずし、おもちゃが3点セットです。
足袋で走り回ったことがとにかく印象に残っています。けがをしないようにと本番前、みんなで石拾いをしましたが、当日は途中で破れてしまい、履き替えたこともありました。今の子ども達に足袋といっても分からないでしょうね。
徒競走はいつも2位か3位で、なかなか優勝できず、リレーメンバーにもあと一歩で選ばれず、悔しい思いをしました。
楽しかったのが昼食。いなりずしやバナナは当時、運動会、学芸会といった学校行事の時ぐらいしか食べられなかったのでうれしかったです。ラムネの味も懐かしい。
運動会後、おもちゃのピストルを買ってもらい、友達とよく遊びました。(北見市、48歳・男性)
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