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掲載日=
2008/05/20
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市民の声、運動会の思い出(2)
近づくと毎日わくわく
スポーツが得意な私は、運動会が近づくにつれ、毎日わくわくしながら過ごしました。
徒競走では一位になり、リレーの選手としてクラスの代表として走る姿を両親に見せたくて、全力を尽くした覚えがあります。
競技のほかにも、昼食がすごく楽しみでした。自営業を営んでいたわが家にとって、運動会は家族がそろって昼食を食べられる貴重な時間でしたね。太巻きやから揚げ、エビフライなどが入ったお弁当。仕事の疲れがある中、朝早くから作ってくれた弁当に、母の愛情を感じたものです。運動会の季節がやってくるたび、母の作ったお弁当を思い出します。(網走市、39歳・男性)
綱引きで娘が「えっ?」
もうすぐ25歳になる娘が幼稚園の年少組の時なので、もう20年以上前の話になりますね。その時のことを思い出すと、今でも顔が真っ赤になってしまいます。
娘が出場した競技は綱引き。当時、住んでいたまちは年少組が少なく、年中組に数人が混じっていた程度。体の小さい娘は列の一番前になりました。
最初は一生懸命、引っ張っていましたが、自分のチームが負け始めたのが分かったのでしょうね。くるっと向きを変えて相手チーム側になり、引っ張り出しました。
私はびっくりするやら、恥ずかしいやらで顔が真っ赤に。その後どんな話をしたかは覚えていませんが、あれも一つの技だったのでしょうか。今では楽しい思い出話になっています。(訓子府町、52歳・女性)
露店はしゃぎまくり
運動会の思い出と言えば、グラウンドを囲むようにずらりと並んでいた露店。種目とはまったく関係ないのですが、小学生のころはまるでお祭りみたいと、すごく楽しみにしていました。
中でも好きだったのはおもちゃ屋さん。友達と一緒にくじを引いたり、火薬で音の鳴る鉄砲を買って刑事ごっこをしたり。親にもらった小遣いを握りしめて、はしゃぎ回っていました。
最近はどこの学校の運動会にも露店はないようで、少し寂しい気がしています。(北見市、30歳・男性)
リレー夢だった
運動会で最も盛り上がったのは、全学年によるリレーです。私は足が遅く、選手に選ばれたことは一度もありませんが、リレーは大好きでした。
自分のチームが順位を上げると喜び、下がるとヒヤヒヤしたものです。正直、一度でいいから全校生徒が見守る"あの舞台"で走ってみたかったです。
走力のない私は、綱引きが大好きでした。みんなの力が合わさった時、綱が一気に動く感覚はたまりませんでしたね。
保護者のリレーも楽しみの一つでした。小学5年生の時の運動会で、なぜか私の父が選ばれ走りました。父はコース途中で転倒してしまい、見ていた私は何ともいえない気持ちになったことを覚えています。(網走市、40歳・男性)
リボン有無で天と地と
運動会の花形といえば徒競走。毎年の順位に一喜一憂した人も多いのではないでしょうか。私の小学時代の脚力といえばぎりぎり3位に入るか、4位かの瀬戸際。しかし、リボンがもらえる3位と、何もない4位とではその価値に天と地ほどの差があるのでした。
6年生運動会。開催直前の体育の授業で一緒に走った横列のメンバーは、運良くあまり足の速くない連中。楽勝で3位に入ることができました。
黄色いリボン(3位)を確信し、意気揚々で小学生最後の徒競走に臨んだ私。しかし、数人が病欠した影響で、私の横列は強豪ぞろいに。運に見放された私は、健闘むなしく入賞圏外に撃沈したのでした。(北見市、30代・男性)
不敗の騎馬戦
私が卒業した勝山中学校は30年ほど前に廃校になってしまいましたが、当時の運動会の楽しい思い出が、今でも心に残っています。
当時、私の学年だけで84人もいて、運動会となれば地域を挙げての大イベントになりました。家族や親戚、子どもがいなくても地域住民がこぞってグラウンドに集合。ビールやお酒などを飲みながら、応援する光景は宴会のようでした。
私は体が小さい方だったので、騎馬戦で騎手を務めました。真っ向勝負は出来るだけ避け、後ろからそっと近づき、一瞬のすきをついて鉢巻きを奪うのが私の戦略。3年間、一度も鉢巻きを取られなかったのが自慢です。
いなり、のり巻き、バナナは高級デザートだったあのころ、運動会は本当に楽しい思い出です。(置戸町、59歳・男性)
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